こんばんは。香里です。

 

とうとう伯母を見送ってきました。

本当に久しぶりだったり、初めて会う親戚もいて

悲しいばかりではないお別れの儀式だったわけですが…。

 

なんか…ものすごく長い月日を埋める作業もあり

単純に、別れがただつらい気持ちもあり

親の老いを実感する場面もあり

 

そんなこんなで、とても疲れました。

夕飯の支度しながら立って寝てたくらい 笑。

まだこっちの世界に帰って来れないよ。。。

 

ねじれた時間軸に埋まってしまったって言いましょうか。

長すぎる時間を行き来したようで消耗激しすぎます。

今日は疲れているため、まとまりもなくつぶやきますがご容赦ください。。。

 

 

お坊さんの背中を見ながら思う

 

続く読経を、お坊さんの背中を眺めながら聞いていました。

長い。本当に長い。。。お葬式&初七日法要って長すぎる。。。

そして考える。おばちゃんは仏さまになったからといって

このお経の意味がわかるのだろうか。うなってるだけみたいな(失礼)このお経の。

 

私は、もしこの帰りに事故とかで死んだとして

これ読まれて、ちゃんと迷わずにあの世に行けるのか???

私はお経の意味がわからないけど大丈夫??

こんなこと、本気で考えてるオトナってそんなにいないだろうな。バカなのか。

 

抜け殻を残して魂はどこへ行くの

 

久しぶりに会った伯母は、とてもきれいにメイクされていて

きちんと旅立つ支度をしてもらっていました。

でも、照れくさそうに微笑む遺影の面影はまったくなく

当たり前だけど、抜け殻でした。

 

もういないんだよね。ここにも、どこにも。

旅立つ人を見送るたびにそう思う。

霊感とか全くない私は、気配も感じないしどこにも、どこにもいないと感じる。

 

昔、子どもが見ていた戦隊もので、隊員の女の子が魂を敵に吸い取られて

(たぶん、ビンか何かに)

暗闇の中で、『私の魂は、どこへ行くの?』って叫ぶんだけど

私はそのシーンをみて、『それな…』って思ったんだよね。

 

どこへ行くんだろう。

不思議で仕方がない。生命体だったはずなのに

命の気配がどこにもなくなってしまう。

それぞれ、本当にその人だけの個性的な輝きを放っているのに。

 

お葬式って生きてる人のためのものだなぁっていつも思う。

従姉が用意してくれた伯母の若いころの写真を見て

人ってやっぱり、同じ時代を生きる人と共に生きるんだなって思った。

 

私にはこの歳になってもまだわからないけど

極楽浄土があるのなら、どうぞ伯母はそこへ行けますように。

 

残された者には煩悩が残る

 

残された者たちには、果てしない煩悩だけが残る。

絡まった糸はなかなかキレイにほどけたりしないのね。

重たくのしかかる生活や、不安。それが生きることなんだから仕方がないけど。

 

実家の両親と一緒に過ごすと、改めて老いを感じる。

今はまだ、今はって思っているけど、いつどうなるかなんて誰もわからない。

きっと私は毎日に流されて、何が一番いいのかわからないまま

その場でできる精一杯のことをやろうとするんだろう。

 

何が正しいのかわからないままで。

 

ずっと続くなんてことは何一つないんだと、思い知らされる冬の日でした。

マジしんどい。。。