こんにちは。香里です。
実家の父が認知症になった…と聞かされてからはや半年が過ぎようとしています。
母は混乱し、悲しんできつく当たってしまい…何度も父と衝突したようです。
私も父と母をどういうふうに支えたらいいのか迷って悩んできました。
正解はわからないけど、試行錯誤しながら父と向き合ってきた半年でした。
今は、なるべくたくさん話したり、一緒に外に出て季節や外気を楽しむようにしています。
今日は散歩の効用?について書いてみます。
Contents
散歩の効果を実感する 意識して歩くようになった父
もともと歩くのが好きな人でしたが、車を手放したことでさらに歩くことを意識するようになりました。
意識した散歩を始めてから、父は徐々に変わってきたんです。
本人は認知症であることを決して認めようとしません。テストでは顕著な認知症の症状は見られないということで告知もされていないため私たちも認知症だと本人に言ってません。でも以前とは違うということを本当はわかっている様子。自分の心のよりどころに困っているといった印象を受けます。
そんな中、さらに車を取り上げられてしまったため、自信を失っていくのがわかりました。今はそれを埋めるためにひたすら歩いているように見えます。
リハビリの運動施設にも通うようになり、以前よりも格段に運動量は増えたはずです。
調子に波はあるものの、以前とはずいぶん顔つきも変わってきましたし自分で考えることも増えました。
私は父と一緒にただ散歩を楽しむために歩いています。
一応その日の目標は決めますが(〇〇公園まで歩こうとか)ただその日の日差しや空の色を楽しむんです。
空の色や花の色に魅せられて
意識して歩くようになって、父はよく空の色を見ています。
『あの家の後ろの空がほんとにきれいな色だなぁ…。』
立ち止まっては、空を見上げてる。
この日は梅が咲いていたので花の色も一緒に楽しむことができました。行楽地の花や景色はもちろん素晴らしいけれど、近所の本当に小さな梅の木だって心にしみるようないい色あいだったりします。
最初はね、本当に必死で始めたんでした。一緒にこうして歩くことも試行錯誤の一つって感じで。
何かできることないか。私にもできることが…ってね。でもね、今思うとなんかおこがましいです。私が教えてもらっていることのほうが多いような気がするしね。
もちろん、できなくなったことたくさんあるし元通りになるとか治るとかそういうことじゃないの。
年齢相応に衰えはするんだけど、きちんと自分主体で生きていこうとする姿勢が見える。
五感を研ぎ澄まして街を歩くことで、いい刺激を受けているな~って思うんですよ。
父が住んでいるところが比較的自然の多いところなのも良かったです。
災害時とかは恐ろしいけどね。(実際台風の時は怖かった。。。)
まるで4月のようだ…
散歩している時に日差しがさんさんと注いで、更年期の私は暑くって。笑
風も優しく頬をなでるみたいな感じだったんですけど、そしたら父が『まるで4月のようだ~。』って言ったんです。
これを聞いて私ビックリしたし何より嬉しくて。
だってね、前に書きましたけど介護認定の時の質問で父は季節を答えることすら危うい感じだったんですよ。
助け船をだされてやっと自信なく答えるみたいな。目、泳いじゃってましたからね。
だけどこの日、父は自分の身体で感じた季節を明確に口にしたの。4月って。数分前に見た時計すら忘れてしまうような状態だった父ですからこれはすごいことなのよ。。
しかも『まるで4月のよう』だから、今が春でないことを認識してるんですよね。
私が押しつけた感想ではなくて、自分の中にわいてきた感想を言っていたので本当に嬉しかったです。
父のいつもの散歩コースだったので、終始リードして解説までしてくれました。
本人は全然意識していないけど、お父さんすごいことなんだよそれって。
できることを数えていきたい
そうは言っても実際には困ったことがてんこ盛りなわけですよ。経済面とか。
実家の内情がわかってくるにつれて頭の痛いコトすごく多いし正直本当に悩んでる。
でも…ないものとかなくしたものとかを嘆いていたって仕方がないもんね。
今できること。今恵まれていることを嬉しくありがたく感じていたい。
両親にはいつまでも元気でいてほしい。でもずっと同じなんてあり得ないから、今ここにあるものを大事にしていきたいと思います。
これ、ピーコちゃんが身をもって私に教えてくれたことだなと思います。
後悔はどうしたってしちゃうけど、本当に大事な時間を共有してくれたことがありがたい。
なくしたものに泣くよりは、いまあるものを大事にしないといけないんだよね。