こんにちは。香里です。
特に体調が悪いわけでも(いやいつも悪いんだけども)元気がないわけでもないんだけど…50代になってからいつも周りに静かで冷たくさみしい空気が流れているような気がするんですよ。
なんだろうなぁ。夢中で子育てしてきてふと我に返ったら周りがし~んとしてた…って感じ?
Contents
気がついたら世の人々の中でけっこう年上だった件
同世代の人口は多いし、まだ現役の先輩もたくさんいるけど…ふと気がついたら世の中の人の中でもけっこう年上なんだ~という事実にビックリします。え?いつの間にこんなになっちゃったの?あれ?なんかさみしい…って感じで。
40代のころはまだ子供にかまけてる時間が多くて、ほんとに夢中だったので考える暇もなかった。自分の熱量で周りも熱してた的な。笑
それにしても40代のときと50代になってからの温度の差がすごくて。まだ慣れません。
60代になるときはもっとそうだろうし、70、80代になったら今とは比べ物にならないのかもしれないですね。そのころには力尽きる人も多くなるだろうしなぁ…まぁ、自分の寿命だってそこまであるかどうかはその場所についてみないとわからないからね。その景色を見ることになるかどうかは不明。
あと、数字にとらわれているところも多分にあるかもね~。有名人の人たちを見てても『え?この人70代だったの?』なんてことがよくあるから。自分がイメージしている年齢と現在の人々の年齢がマッチしてないというか。
100年時代って聞くとちょっと盛り気味じゃない?と思うけど…人生90年時代とかは普通に来るのかもしれないね。あ、もう来てるのかな。
それでもやっぱり、今自分が立ってる50代のステージはさみしい空気が流れてるように感じてしかたないんですよ。
目に見えないものに翻弄されている
自分が子供のころの生活とはもう比べ物にならないくらいに便利で近代的な生活をしているというのに、目にも見えないようなウイルスたちに翻弄されていることが不思議で、そして同時にうすら寒い気持ちになってしまう。。。
医学が進歩した…とはいっても実際、未知のものはこうして次から次へ出てくるだろうし、そして未知のものへの対処は手探りっていうおそろしさ。そんなものに立ち向かってくださってる医療従事者の方、本当にありがとうございます…。
現代は便利で安全で清潔で…っていう自分が長いことそう信じていたことがただの勘違いなんだってことに気づいてしまった。震災のときも人間って砂の上に城を築いているようなもんだな~と思ってむなしくなったけど、それに輪をかけて絶望感というか厭世感というか…そんなものでいっぱいになってしまう瞬間がある。
自分は何を根拠に、この世界を安心できると思いこんで生きてきたんだろう。
どうして安心しきって子供を産もうだなんて考えたんだろう…。
子供たちが無事に大きくなったのはほんとうにたまたまで、自分が安心して生きて来られたのもたまたまだったのに。
そしてこれからのことは誰にもわからないのですよね。。。だからと言って何ができるわけでもないし。
そしてただ思う
ウツウツと考えた末に思うこと。
精いっぱい生きよう。結局は何を考えてもいつもこの結論に落ち着くんですけどね。
ただ今年は特にもう何を信じたらいいのかわからない状態なので…しょっちゅう無力感とか喪失感とか厭世感とかにとらわれちゃうんですけど。なので同じようなことをまた書くかもしれない…(;’∀’)
でもやっぱりまだ生きていたいし…全然頑張りはしないけど淡々と生き抜こうと思うのです。命ある限りは。
これからたどり着く老後に安定とか安心とか希望があるようにはあんまり思えないんだけど…でもどんな未来が待っているとしても淡々と生きていきたいと今は思ってます。
いつも騒がしかった過去は、今思えば楽しく幸せな毎日だったけれど…その時は大変だったんだよね。
人間って贅沢な生きものですよねぇ。。。
とにかく今は早くコロナが落ち着いてほしいなぁ。穏やかに暮らしたい。ほんと。
また流行がひどくなって息子に会えなくなったらいやだなぁ。