こんにちは。香里です。

 

寸志をしっかりいただいて、さぁ思い切ってこれからのことを考えよう…と思ったんですけど。

考えれば考えるほどドツボにハマってしまって抜け出せない。どうしたらいいんだろう。

 

いざとなると本当に職を変えるのって厳しいですよね。なまじ仕事に生きがいとかを求めていないのが災いしてなかなか方向性が決まりません。

 

 

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仕事にやりがいも生きがいも求めてなかった

…そうなんですよね。

私は仕事に対してやりがいも生きがいも全然求めてないんです。

ただ単純にお金が必要だから働いているんですよ。よ~く考えてみたんですけどやっぱりそれだけしかなかった。

それも贅沢したいとかお金持ちになって人に自慢したいとかそういうんじゃなくて、もう本当に娘の教育費を捻出するためと老後の自分たちの暮らしが不安だから働かないとって…。ただもうそれだけ。

 

今まではひたすら、子供たちのやりたいことをお金がないって理由であきらめさせたくない一心でパート勤めをしてきたんですよね。

 

息子は何とか一人で歩きだしたし、娘も今の苦しい財政状況を乗り切ればいずれは独り立ちしていくでしょう。あとは子供たちの負担にならないよう老後のお金をしっかり用意したいってそれだけなんですよね。

 

だったら別に尊厳がどうとか対価がどうとかって深く考えず、このクズめ…と胸の中で悪態をつきながら今の職場で働き続ければいいじゃないかと思ってしまうんです。今まで目の前の現金を選び続けて来たみたいにね。

 

ここを抜け出しても、世の中は偏見と不平等にあふれているから…どこに行っても同じように臍を噛むことになるだろうし。

 

それにたぶんあの会社、もうそんなに長く存続できないんじゃないかと思う。ならばギリギリまで会社に寄生していよいよダメだと思ったら次を考えたらいいんじゃないかなんてつい思ってしまうんですよ。

 

どうしてかというと、自分で自分の心を覗き込んだ時にびっくりするほど気力体力もなくなっていたから。そのうえ向上心がまるでなかったからです。笑

年齢その他のハンデをはねのけて転職するために必要なのは、まさに気力と体力と向上心じゃないですか。

それがどれもまるでないんだもんなぁ。。。

 

体調不良を理屈で封じ込めることができるのか

Counselling / Pixabay

じゃあとにかく待遇にも金額にも不満はあるけれどここで頑張って続けていこう…心ではそう思うけど、考えるだけでもう体調悪いんですよね~。

 

先日もどうしようもなく下劣な物言いで社長が配送会社にクレームを入れていたんですけど、本当に高圧的にねちっこく相手のプライドを傷つけていくような言い方でさぁ…思わずその場から逃げ出したくらいです。

 

働き方に何の思い入れもない私なんですけど、その会話を聞いていると自分の身がどろどろに汚れていくような錯覚を覚えるほどたちが悪かったです。

さほど社歴が長くない人がその会話を初めて聞いてドン引きしてました。←社員さん

『ねぇねぇ、初めて聞いたけどいつもあんなにひどいの?ヤバいよね!すげ~タチ悪くない?』

こっそり聞かれて私と別の社員さんは無言で(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウンウン

根底に差別意識がないとあそこまでひどい言い方はできないです。私たちのこともそうやっていつも見下しているんだろうと思うと吐きそうになりましたね~。本当に駒としか思っていないはずです。もしかしたらそれ以下かも。

 

でもそんな人から見下されながらクソ安い賃金をもらい続けなければ今の生活は維持できないんだから。今の職場を捨てるっていう選択肢はないだろうって自分に言い聞かせてもみました。

 

だって私にはこれから新しい職場に挑んでいく気力も体力も向上心も残っていないんだから。

 

じゃあ我慢するしかないじゃん…って思うんですけど本当につらくて体調崩しそうです。今感染したらコロナに負けてしまうかも。

 

自分を棚卸する 客観的に見た自分はどうなの?

仮にガマンできたとしても、もうそろ会社ヤバそうだし…もしもつぶれちゃったら否応なしに就活しないといけないわけですよね。

で、自分の棚卸をしつつ…自分のことを客観的に見てみようと思いました。

私の職歴

高校卒業後 正社員(一般事務 7年)

婚約中→出産前 派遣社員(一般事務 データ入力 長期・短期 合計4年)

出産後 専業主婦(8年)

復帰 パート(ファミレス キッチン 5年)

転職 パート(一般事務 9年)

あら。絵にかいたような主婦の経歴じゃないですか。

ヤダ…今の会社が一番長く続いているじゃないか。マジか。

 

正社員だったころは若気の至りで本当にクズかったです。給与も低かったけど私のレベルも相当低かった。笑

思い出すともう恥しかないです。結婚したらやめる~みたいな昭和体質の会社だったんで、結婚決まってすぐやめました。

そのあと最初の会社を辞めて派遣社員になるまではほんとに苦労しました。

ある資格を取ろうと職業訓練校に通い、めでたく資格をとって就活しましたが結婚が決まっていたこともあってなかなか採用に至らず。あのとき40社くらい落ちたんじゃないかな~。

仕方なく数社派遣会社に登録した中で、ご縁があって派遣社員として働くことになりました。勉強していた資格はまったく使えない業種だったけどね。笑

でもここで苦労しておいてよかった。ナメたオトナにならなくてすみましたよ…。

 

実際に派遣されたのは、3社5事業所。いろんな会社で働いたことは勉強にはなりました。すごく楽しい仕事もとんでもなくクソなのもあった。でもわかったことは、仕事はどこでもそこまで難しくないな~ということ。まぁ私が専門業種の派遣ではなくて一般事務、データ入力みたいなオーソドックスなヤツで派遣されてたからってことも多分にあるよね。

 

業務で一番大変なのは環境に慣れることでした。どこでもそうだった。ただ派遣のときは自分の仕事がそのまま報酬に反映されるのがスッキリ事務的で良かったな。それ以上でもそれ以下でもないところが。ザ・対価って感じでした。

 

職場の居心地的にはあんまりよくはなかったけどそれは割り切ってたので平気でした。派遣同士は仲良くやってて全然悪くなかったけど…会社の中では常によそ者って感じで。自分でも線引きしていたというかね。

だから私が勤め先のことを『うちの会社』って言えたのは、新卒で採用された最初の会社だけでした。派遣ってそんな感じですよね。。

 

出産後専業主婦を経て、社会復帰をしようと思ったときに選んだのは近所のファミレスのパートでした。

もうね、めっちゃ主婦ボケしてたからヤバかった自分。偶然キッチンスタッフがごっそりやめたあとだったので採用されたんだけど…仕事した中で一番苦労したのがこのファミレスだった~。

あとから考えるとたったの5年しかいなかったんだけどね。

 

ファミレスこそ体力・気力がないとできない仕事だと思います。今やれって言われてももうできない。でも充実感も一番ありました。直接売り上げに貢献できる喜びみたいなものもあったし。ここ以外はいつも事務職だったのでいつも間接業務だったんですよね。

 

ファミレスは年をとったら体力的にできなくなると思ったので在職中に就活してたんだけど(パート狙いだったからパー活?)毎週落ちてたな~。けっこう凹みました。存在ごとダメだしされたようで。

ファミレス勤めを面接でバカにされたこともありました。ほんと信じられない。事務職よりよっぽど大変なのにさ。

 

そんなとき、近所の人に今の職場を紹介してもらったんです。

仕事には全然魅力を感じなかったけど(今も…笑)家からさらに近くなること、休みの融通が利くこと、娘の小学校のそばだったこと、体がラクなので年をとっても続けられそうだと思って飛びつきました。

 

今は、一定額の給与をもらえることくらいしか魅力がない。笑

でもそれって…どこでもそうだもんね。家から近いのは本当に助かるけど。

 

だけど、今の会社で思いのほか長く働いてしまったため50代に突入してしまい…思った以上に衰えを実感するこのごろ。こんな私が今からまったく知らない職場に飛び込んでいけるのか。しかもこの程度の社会経験で…。

 

稼ぎ続けなければいけないから

でもとにかくお金は稼がないと。この先年金で食べていけるとは到底思えないし…夫の稼ぎだけに依存するのはあまりに危険すぎる。←将来ずっと一緒にいる保証もないしね 笑

 

いろいろ考えるうち、今までになく長い文になってしまいました。

引き続き、普通に外で働く以外には何ができるのかを考えていきたいと思います…。

もうほんとあの会社やめたい。。。